離婚をするうえで一番つらかった期間
離婚までの中で、一番つらかった時期をあげるなら、迷いなくこの「遠隔での交渉の期間」だと思う。
嫁は関西、僕は関東。
直接会って話すことはもうできず、頼れるのはスマホの画面越しのLINEと電話だけだった。
お互いの想いがうまく伝わらず、何度ももどかしい思いをした。
最初はまだ復縁を望んでいた僕は、何度も連絡を入れた。
「子どものためにもやり直したい」
「俺が変わるから、もう一度だけ話を聞いてほしい」
でも、嫁の返事はいつも冷静で、そして意志が固かった。
「もう気持ちは戻らない」
「絶対に離婚する」
会話が噛み合わないと電話は一方的に切られ、しばらく音信不通になる。
連絡がつかない数日間は、心が空洞みたいに感じて、仕事中もぼーっとしてしまうことが増えた。
上司にも「最近パフォーマンスが落ちてるぞ」と怒られた。
そりゃそうだ。人生が、家族が、バラバラになろうとしているのに、仕事に集中できるわけがなかった。そもそも自分は何のために仕事をしていたのだろう、家族のためじゃなかったのか?と仕事に対するモチベーションも低下していった。
そんな状態が数か月続き、少しずつ、僕の中でも離婚への覚悟が固まり始めた。
気づけば、LINEのやりとりは復縁のお願いから、離婚の条件に変わっていた。
離婚の現実的な話になったとき
離婚協議書を作り始めたときは、ようやく話が前に進み出したという感覚があった。
「どう別れるか」の議論は、皮肉にも「ちゃんと話せる」時間だった。
でも、一番揉めたのはやっぱり子どものことだった。
親権、面会、養育費。
僕にとって一番つらかったのは、子どもと離れて暮らすことだった。
だから「別居しても近くに住んで、子どもに会える距離にいよう」と提案したけど、
嫁はすでに、実家のある関西に住むことを決めていた。
「親権は譲ってもいい。でも、面会だけは定期的にお願いしたい」と粘った。定期的な面会の約束は、僕が勝ち取った唯一の成果かもしれない。
ついに僕も離婚を決意。別居していたことで、冷静になれたのかもしれない
離れて住んでいたことで、お互いの気持ちが徐々に整理されていった気もする。
「もう無理に一緒にいる理由はないのかもしれない」そんな風に思ったのも、たぶんこの時が初めてだった。
たとえこの後もとの生活に戻れたとしても、将来嫁と二人で暮らすイメージがわかなくなってきていた。
話し合いのなかで、お互いに譲れないところもあった。でも、それ以上に「もう争いたくない」「これ以上、子供にストレスをかけたくない」という気持ちが勝った。
最後は、お互い何かを諦めるように、離婚に合意し、離婚届を提出することになった。